2018年 10月 15日
5%の男 最終章! |
一年前に「すい臓がん末期、余命3ヶ月。一年後の生存率5%!」と診断された同じ日に亡くなりました。
まさに「5%達成!」しました。
前回、様子を見に行って「痛み止めの麻薬パッチ」の使用を勧めたのに主治医は「まだ先が長いから使用は見合わせたい。」との発言でした。
黙っていられない私は「試しで良いから使って欲しい。今の坐薬の痛み止めでは倍量使っても数時間しか持たない。家族も疲れ切っているから・・・」丁寧に私にしては低姿勢で話しました。
「でも血中濃度がなんとかかんとか・・・」。バカヤローと言う言葉を飲み込んで「だったらちょっとだけ入院したら調整して貰えますか?」と主治医がもと居た緩和ケア病棟への入院をお願いしました。
本人には「嫌だけど、調整が上手くいったら自宅で楽に生活できるからね。この前の入院では点滴もして貰えずに嫌だったけど、今度はしてくれるって約束したから我慢してね。」と説得して4泊5日の入院をしました。
何と言っても家族が疲れていました。
入院中は快適とまでは言えなくても良くなって退院する予定の日に亡くなりました。肺炎でした。
意外でしたが仕方ありません。
何の為の在宅医療なのか医師の裁量(出来不出来)で患者の思いが届かない。主役は誰?私は結構医師に言うのでして貰えた事もありましたが、何も知らない人は分からないまま我慢をしたのでしょう。
今の在宅の医師達はかなり「患者に寄り添う」勉強をしています。凄く努力をしている先生を知っているだけに残念です。
患者の苦しみを医者の尺度で決めないで欲しい。入院した緩和ケア病棟では直ぐに対応してくれて笑顔が見られたとのことでした。
葬儀は簡素で無駄の無い彼の気持ちが至る所に見受けられました。
同級生が泣きながら話しかけておられました。
涙の式でしたが、彼の闘病を知っているので静かに終わりました。
今回は「私達もこうありたい」と思える式でした。
それにしても近頃の葬式は自治会の人が居なかったら成り立ちません。親族も呼ばないので自治会の人が来なかったら15名位で終わりです。
でも、これで良いですよね。
良かったと私が思ったこと
① 香典無し
② 戒名が簡単 釈◯院 (◯は本名)
③ お坊さんが1人 (普通は複数)
④ 参列者が少ないのでお焼香が直ぐに済んだ。
⑤ 家族だけで親戚は来ていなかった。(従姉妹は私だけ兄弟も呼んでないみたい。これはちょっとね〜)
⑥ 無駄な盛花が無かった。(親戚に出させてはいけない。」
⑦ 思い出写真のスライドショーが良かった。
静かなお式でした。
by pamumama
| 2018-10-15 14:14
| 葬式
|
Comments(4)
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ppjunction at 2018-10-15 16:48
大変でしたね。
何時もご親戚の為に奮闘されて、凄いと思いますよ。
pamumama さんが私の近くに居て欲しい。。。
「麻薬パッチ」覚えておきます。
父の在宅介護の時に来たお医者は、特に何もせず血圧を測っただけで「はい、5000円。」と手を出されたのには驚きました。血圧なら我が家でも朝夕測定してました。
ナンダかなあ〜でしたよ。
何時もご親戚の為に奮闘されて、凄いと思いますよ。
pamumama さんが私の近くに居て欲しい。。。
「麻薬パッチ」覚えておきます。
父の在宅介護の時に来たお医者は、特に何もせず血圧を測っただけで「はい、5000円。」と手を出されたのには驚きました。血圧なら我が家でも朝夕測定してました。
ナンダかなあ〜でしたよ。
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saheizi-inokori at 2018-10-15 17:22
お疲れ様でした。モルヒネの疼痛管理は早い段階でもやるというのが亡妻のころ(25年前)でも知る医師ぞ知っていましたが、ノウハウがないと出来ないのでしようね。ご冥福を祈ります。
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pamumama at 2018-10-15 18:17
ppjunctionさん
最近は日本医師会が頑張って在宅医療にお金がついてドンドン参入しやすいようになりましたから、充実してきました。
その中で本当に素晴らしい出会いが出来るかどうかは運かもしれません。
今回は前職でがん診療連携拠点病院のがん相談員だった私が選んだ医師でした。残念な結果でしたが、他に選択肢がありませんでした。
まだまだこんな思いをしなくてはいけないのかと田舎に住むことの不利を知りました。
これからは皆んなが人任せにしないで自分の治療には積極的に参加しなくてはいけないと言って行こうと思います。
最近は日本医師会が頑張って在宅医療にお金がついてドンドン参入しやすいようになりましたから、充実してきました。
その中で本当に素晴らしい出会いが出来るかどうかは運かもしれません。
今回は前職でがん診療連携拠点病院のがん相談員だった私が選んだ医師でした。残念な結果でしたが、他に選択肢がありませんでした。
まだまだこんな思いをしなくてはいけないのかと田舎に住むことの不利を知りました。
これからは皆んなが人任せにしないで自分の治療には積極的に参加しなくてはいけないと言って行こうと思います。
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pamumama at 2018-10-15 18:29
saheiziさん
25年前の桜町ですか?
もしかしたらすれ違っていたかもです。
友人がいたので何回か訪ねています。
聖ヨハネ立ち上げ当時のメンバーです。でも残念ながら名前が思い出せない・・・ダメだ〜
小澤竹俊先生を知っていますか?
今、地域に根ざす医療に頑張っておられます。
私も考えないと・・・ボケていられません
25年前の桜町ですか?
もしかしたらすれ違っていたかもです。
友人がいたので何回か訪ねています。
聖ヨハネ立ち上げ当時のメンバーです。でも残念ながら名前が思い出せない・・・ダメだ〜
小澤竹俊先生を知っていますか?
今、地域に根ざす医療に頑張っておられます。
私も考えないと・・・ボケていられません